ニック・バントック1)『不思議な文通:グリフィンとサビーヌ』2)

 

 この本の魅力は何といってもまずその造りにある。グリフィンとサビーヌの間で交わされた絵はがきや封書が、本にそのまま再現されているのだ。封筒が実際に本のページに貼りつけられ、読者はその中に納められた便箋を取り出して読む。日本語訳は別冊子で添付されていて、はがきや便箋の文面は日本語版でも原語(英語)のままである。とにかく見て、かつ触って楽しい本である。こんな便りが自分にも届いたらさぞかし嬉しいことだろう(それともこわい?)。

 

 ロンドンに住む画家のグリフィン・モスのもとに、ある日1枚の絵はがきが届く。差出人はサビーヌ・ストローヘム。南太平洋の島の住人。グリフィンは彼女を知らない。ところがサビーヌにはグリフィンの描く絵が南の島から見えるのだという。テレパシー? この不思議な事実をグリフィンは受け入れ、文通が始まる。イギリスと南太平洋の島では、地球の裏表である。遠いところへ私たちはあこがれるものだ。この距離を手紙が行き交う。時間差をもって気持ちが相手に届き、返事を待つ間に相手をめぐる空想が広がっていく。

 

 「文通」にはどこかしら感傷的な響きがある。ほのかに淫靡な雰囲気も感じられないでもない。とりわけ男女間のそれとなると、欲求不満を駆動力にした妄想の展開が容易に予想される。グリフィンとサビーヌの場合も例外ではない、といってしまったら身も蓋もないかもしれないが。

 

 携帯電話や電子メールのめざましい普及で、実用の通信手段としては電報に続いて手紙も急速に過去のものになりつつある。残るのは年賀状や各種の挨拶状などの儀礼的なものと、「絵てがみ」などの趣味的なものだ。相手にメッセージが届くまでの時間が、現代人の時間感覚からすると手紙はスローすぎるのである。しかし、何事も速ければよいというものでもあるまい。

 

 原著が出版された1991年はまだ電子メールなど存在しなかった。それから十余年後の今なら、グリフィンとサビーヌにメールのやり取りをさせることも可能だろう。カラフルな画像だって添付ファイルで送れる。しかしそうなったら、二人の間の感情は熟成する()を与えられるのだろうか。

 

 自動車社会で自転車やウォーキングが見直されるのと同じ意味で、手紙というスローな通信手段のよさがこの本をとおして再発見されると嬉しい。なお、本書は続編の『サビーヌの日記』3)、完結編の『黄金のとびら』4)で三部作になっている。

 

 

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1) Nick Bantock  1949年イギリス生まれ。87年よりカナダ在住。

2) ニック・バントック(絵・文)、小梨直(訳)『不思議な文通:グリフィンとサビーヌ』河出書房新社、1992年(Nick Bantock: Griffin & Sabine. An Extraordinary Correspondence. 1991

3) ニック・バントック(絵・文)、小梨直(訳)『サビーヌの日記:続・不思議な文通』河出書房新社、1993年(Nick Bantock: Sabine’s Notebook. In Which The Extraordinary Correspondence Of Griffin & Sabine Continues. 1992

4) ニック・バントック(絵・文)、小梨直(訳)『黄金のとびら:不思議な文通・完結編』河出書房新社、1993年(Nick Bantock: The Golden Mean. In Which The Extraordinary Correspondence Of Griffin & Sabine Concludes. 1993


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