『わがユダヤ・ドイツ・ポーランド:マルセル・ライヒ=ラニツキ自伝』1)

 

ライヒ=ラニツキのこの自伝は、1999年にドイツで出版されるやたちまち大きな反響を呼び、ベストセラーとなった。理由は二つあるだろう。一つは著者が文芸評論界の大御所でドイツでは一般人にもよく知られた有名人であること、もう一つは当然のことながら内容の魅力である。

 

 残念ながら日本でライヒ=ラニツキの名に聞き覚えがあるのは、独文関係者くらいではないだろうか。だから邦訳が出たといっても、ベストセラーになることはまず考えられない。知らない人の自伝などふつう興味を呼ばないからだ。また、万一この本を書店や図書館で手に取った人がいたとしても、二段組で五百ページという長大さに(書店でならば、さらに5700円という値段にも)恐れをなして、たいていそっと棚に戻してしまうのではなかろうか。だが、それはたいへん惜しいことである、と強く主張したい。著者を知らなくても、ドイツ文学に関心がなくても、20世紀の歴史の証言として、また個人と文化的アイデンティティの問題を考える資料としてきわめて興味深く読めるからだ。なぜなら、まさに生き証人その人が語っているのだから。

 

 ライヒ=ラニツキは1920年にポーランドで生まれたユダヤ人である。9歳の時に、父親が破産したため、母親の親戚を頼って一家でベルリンへ移る。ベルリンでギムナジウム(中等高等学校)を卒業したもののナチスの政策により大学進学はかなわず、それどころかポーランドへ強制送還されてしまう。1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻し、ほどなくワルシャワは陥落。それにともないユダヤ人は特定の狭い居住区(ゲットー)に押し込められた。

 

 ゲットーで、ドイツの文学や音楽がユダヤ人たちの慰めになっていた様子が書かれている。と同時に、待機中の親衛隊員が暇つぶしに聞くウィンナワルツが流れる中で、「絶滅収容所」送りが宣告されるという場面もある。著者の筆致は淡々という以上に、きわめて冷静かつ的確で、ときにこれが自伝だということを忘れてしまいそうになる。

 

 戦況が進むにつれ、トレブリンカ(絶滅収容所)送りへと「選別」されるユダヤ人の数が増大する。著者の両親も19429月にトレブリンカ送りの列へ選別された。著者はただそれを見ているしかなかった。この時、母親はベルリンで買ったという明るい色のコートをきちんと着て、著者の妻トーシャに「マルセルをよろしくね」と言ったそうだ。こんなとき、選別する側のドイツ兵の態度は非常に無造作なのである。著者はその後、妻とともにからくもゲットーを脱出する。

 

 ゲットーを逃れたマルセルとトーシャは、ワルシャワ郊外で失業中のポーランド人植字工にかくまわれて、戦争を生き延びる。その植字工夫婦にマルセルは、シェエラザードのごとく毎晩物語を聞かせるのだ。その中にはゲーテやシラーやクライストといったドイツのものも多数含まれていた。

 

 戦後、著者は共産党に入党、ポーランド政府の職員となって働くが、ここも安住の地とはならず、結局1958年に西ドイツ(当時)に移る。そして、たちまち文芸批評活動で頭角を現す。ここまでで全体の約三分の二である。ここから先は、作家たちとのさまざまな交流の話が中心となってくるので、ドイツ文学に親しんでいる人なら、H.ベルG.グラスといった後にノーベル文学賞を受賞する作家をはじめ何人もの作家たちの知られざる面を垣間見ることもでき、面白く読み続けられることだろう。作家と批評家の微妙な関係がうかがわれるくだりもある。

 

 全篇、著者の、文学を中心としたドイツ文化への愛着がとにかく伝わってくる。著者がナチスによる迫害を受けたユダヤ人であることを考えるとき、これは不思議でもある。ある文化のもつ魅力とは何なのだろうか。ここまで人を惹きつける文化の力とは何なのだろう。2)

 

 邦訳は、原文の簡潔でテンポのよい調子をよく伝えている。二段組五百ページという長さにもかかわらず、一旦読み始めたなら多くの人があっという間に最終ページにたどりついているのを発見してきっと驚くことだろう。

 

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1) 原著は、Marcel Reich-Ranicki:  Mein Leben. 1999. 現在(2004年)、1999年刊行のオリジナル版の他、ペーパーバック版、革装の愛蔵版、大きな活字の版など、いろいろな版が出ている。著者自身による吹き込みのCDもある。

邦訳は、西川賢一訳、柏書房、2002年。原著にはない年表も添えられていて、一読後の頭の中の整理に役立つ。

なお、邦訳191ページ(234ページでも言及)に、著者がZDF(ドイツ第二テレビ)の「文学カルテット」のテーマ曲として選んだのは、ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲第3番ハ長調、作品59』からとあるが、これは第3番ではなく、同第9番(「ラズモフスキー第3番」)作品593のことであろう。

2) 青木保が『多文化世界』(岩波新書、2003年)のあとがきで、ライヒ=ラニツキ自伝について触れ、憎しみを超える文化の力について述べている。

 


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