佐藤良明1)『ラバーソウルの弾みかた』2)
このところ昭和30年代がブームだそうで、「当時、日本はまだ貧しかったが、子どもたちの目は輝いていた」式のコメントをときどき目にする。筆者(= Wunderkammer 管理人)は昭和31(1956)年生まれなので、3) 「輝く瞳」の持ち主だったことになるが、当時はそんなことを言ってくれる人は誰もいなかった。それどころか学校の先生たちは「君たちの目は死んだ魚の目のようだ」と文句を言って、たとえばネパールの子どもたちの写真を見せて、「貧しいけれど、この子どもたちの目は輝いている」と言った。
過去の時代、とりわけ自分の子ども時代・青春時代と重なる時代を振り返るとき、ノスタルジーを遮断するのはなかなか難しい。本書は、昭和30年代とは5年間のずれをもつ1960年代の文化をテーマにしている。4) 著者は冒頭で、これは1960年代を「知る」ための本であって、あの時代に浸るための本ではない、と宣言している(ちくま学芸文庫版、14ページ参照)。本書は、壮大な意図の下に展開する時代研究の書なのである。エピローグで著者は自らの作業を振り返り、次のように述べている。
僕が目指したのは、「カウンターカルチャー」を大いなる文明の進展の重要な一局面として論じることだった。 (同、298ページ)
僕が論じようとしたのは、遺伝と学習と成長と生理と知覚と技能と伝達と夢と愛と思考のすべてをひとつにくるんだ、この惑星の進化のボディである。 (同、300ページ)
本書は1960年代をテーマとしているだけでなく、この書物自体があの時代の雰囲気を伝える「ポップ」な、「カウンターカルチャー」的文体で書かれている。「時」という、とらえ難い対象をなんとかとらえようとする、絶妙なバランスを要する努力に満ちている。
イルカの心とインディオの心と子供の心。黒人のファンキーな心と東洋の叡知と太古の魔術。それになにより「ドラッグの心」。これら近代の〈ヒューマン〉たちがしっかりと締め出していた精神性を渇望し、快感にふるえながらそれらと交わったシックスティーズの心は、まさに「ポスト・ヒューマン・マインド」に向けての脱皮期にあった、というのが、この本全体を通じての僕の主張である。 (同、287-288ページ)
ただ、この「ポップ」感もまた、最初の発表から15年余を経た現在では、レトロな趣を感じさせるものと化してきたようにも見える。筆者(= Wunderkammer 管理人)自身、1994年に読んだときと今回読み直したときとでは、印象に変化があった。「カウンターカルチャー」もまた「時」の流れのなかで、いつまでも「カウンター」であり続けることはないからだ。
臆面もなくノスタルジーにどっぷりつかっているような昨今の「昭和30年代ブーム」に違和感を覚える人に、ぜひともポップで真摯で壮大な構想の本書をお薦めしたい。また、1960年代など生まれるずっと前だったという若い世代にとっては、当時の「時」を伝える貴重な文書として、すなわち時代の証言としての価値があるだろう。
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1) さとう・よしあき。1950年山梨県生まれ。
2) ちくま学芸文庫、1994年3月刊。最初の刊行は1989年7月に岩波書店から。さらに、2004年2月に平凡社ライブラリー版が刊行されている。
このタイトル中の「ラバーソウル」という語から、ビートルズのあのアルバムのジャケットと、そこに収められた曲がすぐに浮かぶような人が本書を読めば、著者の意図とは別に1960年代にタイムトリップするような感覚を覚えるかもしれない。
3) すなわち、遅れてきたビートルズファンであり、かろうじて映画『レットイットビー』とグループの解散にはリアルタイムで立ち会えたという世代に属する。ちなみに、マーク・デヴィッド・チャップマン(ジョン・レノンの殺害犯)は1955年生まれである。
4) ちくま学芸文庫版には副題はないが、岩波書店版には「ビートルズから《時》のサイエンスへ」、平凡社ライブラリー版には「ビートルズと60年代文化のゆくえ」という副題がついている。