上野千鶴子・小倉千加子・富岡多惠子1)『男流文学論』2)
タイトルにある「男流文学」とはもちろん「女流文学」と対になるはずの言葉であるが、ふつうこんな言葉は使わない。また、「女流文学」の方も21世紀を迎えた今、死語と化しつつあるようだ。
本書の目的は、上野千鶴子があとがきの中で書いているように「不当に高く評価された男性作家の仕事を読み直し、再検討すること」(ちくま文庫版、432ページ)である。俎上にあげられた作家と作品は次のとおりである。
・吉行淳之介『砂の上の植物群』『驟雨』『夕暮まで』
・島尾敏雄『死の棘』
・谷崎潤一郎『卍』『痴人の愛』
・小島信夫『抱擁家族』
・村上春樹『ノルウェイの森』
・三島由紀夫『鏡子の家』『仮面の告白』『禁色』
本書は座談という形式をとっている。上記6名の日本近代文学史上錚々たる顔ぶれとその作品が、井戸端会議風の調子でさんざんにこき下ろされるのだが、1992年に本書が出版されたとき、これが人によっては快感であったり、憤慨を引き起こしたりした。
作品に描かれた男女関係が検討の中心課題となるが、個々の作品の内容は言うまでもなくいろいろなので、それに対応して座談で取り上げるテーマの重心も異なってくる。吉行と谷崎ではセックスが、島尾と小島では夫婦や家族が、村上では恋愛が、三島では同性愛についてが中心となる。男性の側の勝手な幻想や願望が次々と明らかにされていくのは、多くの女性読者にとって確かに痛快であったろうと容易に想像される。
しかし、発表から15年余を過ぎた今読んでも興味深いのは、本書が誰もが「時代の住人」であることをはっきりと気づかせてくれるからでもあろう。男女関係という一見超時代的にも思えるものが、いかに時代の変化の影響を受けるものか。たとえば、筆者(=Wunderkammer 管理人)が1979年に某女子大を卒業した時、すぐに家庭に入るという同級生がまだ何人かいた。また、その後企業に勤めていた時期(1980年代)にも、早々に「寿退社」をしていく同僚は羨望の目で見られていたように思う。その頃というのは、姑の嫁いじめはとうに過去のものとなってはいたが、介護保険制度の導入までにはまだまだ間があり、オヨメサンが老いた舅姑の世話をするのは当然視されていた時代でもあった。
社会が変化し家族観が変われば男女関係も必然的に変わらざるを得ない。性行為(男女間のみならず同性間のものも含めて)の意味合いが、個人にとっても社会とっても変化していく。文学に描かれる男女関係が変わり、そしてその受けとめ方も変わっていくのは当然である。1990年初頭に本書が出版されたのは、まさに富岡多惠子が「文庫版へのあとがき」で述べているように、「時代」のシゴト3)であった。
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1)
うえの・ちづこ、1948年富山県生まれ、社会学者。おぐら・ちかこ、1952年大阪府生まれ、心理学者。とみおか・たえこ、1935年大阪府生まれ、作家。
2)
1992年1月、筑摩書房より刊行。1997年9月、ちくま文庫版刊行。
3)
「小説を読んで、それについて書くのではなく、とやかくいい合うのは「批評」ではない、ということもできる。かといって、書けば「批評」になるとは限らない。この本を、「三人のお喋り」として見過ごすか、「三人のかけ合い」として楽しむか、読者のお好み次第とはいうものの、こういう仕事を思いついて実行してしまった犯人としてのわたしには、これは「女」のシゴトというより、だれかがしなければ仕様のない「時代」のシゴトだった気がするのである。いつの時代にも仕事師はいる。しかし、いちばんの仕事師は「時代」なのである。」(ちくま文庫版、445ページ)